京都伏見稲荷の本殿境内から続く稲荷山。その山中の荒神峰(こうじんみね)と呼ばれる見晴らしの良い頂きに鎮座される田中社神蹟(たなかしゃしんせき)は権太夫さんとも呼ばれ、初めて稲荷山に降り立った七つの神様「七神蹟」のひとつに数えられる神様です。その権太夫大神のお社のすぐそばにある奥村亭では、権太夫さんへのお参りの際のお供え物やローソクなどが揃っており参拝に来られた方々のお世話をされています。
奥村亭店主の奥村さんは代々四代にわたりこの地で田中社神蹟 権太夫さんをお守りしてきた守役。お参りのことでわからないことがあれば丁寧に教えてくださるその気さくなお人柄にお参りの疲れも癒されます。
権太夫さんのご利やくのひとつ「人気」を授かりそれが商売繁盛につながった経験から月参りを続ける方々も今では「奥村さんと話せること」がお参りの楽しみのひとつ…。異口同音にそう話す参拝者で賑わう奥村亭、権太夫さんをお守りしてきた奥村さんもまた「人気」のご利やくを授かった一人なのでしょう。
稲荷山ではうどんやそばといった食事ができるお茶屋さんが多い中、奥村亭はお食事の提供はしていません。にもかかわらず参拝者の出入りが盛んなのは権太夫さんのご利やく以外にも「心地よい氣が奥村亭に溢れていること」が大きな理由です。
晴れのお参りではのれん越しに降りそそぐやわらかな日差しと荒神峰から優しく流れてくるそよ風。雨のお参りでは権太夫さんの拝殿に続く石段を濡らす雨の香りとかすかな光の反射。記憶の奥深くに残るどこか懐かしい風景と清らかな氣が溢れる空間にいつでも出逢える奥村亭。店主で守役の奥村さんと交わす何気ない会話と相まってずっと座っていたくなる。しばし時間が止まったような心地よい空間で店先を眺めていると、そんな場所が今あることに深く感謝している自分にふと気づきます。
毎日懸命に頑張り、悩み、真剣に人生に挑戦されている人こそ胸に秘めた悲願の達成のためここ伏見稲荷にお参りされます。田中社神蹟 権太夫さんに祈願されたあと立ち寄る奥村亭の清らかな氣につつまれると皆、日ごろの緊張した心をリセットすることができるのでしょう。晴れ晴れした面持ちで帰路につく方ばかりです。
そのことと関係があるのかは定かではありませんが、奥村亭では不思議な出逢いが多いのだそうです。何気なく同席した者同士が意気投合しプライベートでも良い関係を築くようになった方々や、なかには以前からお逢いしたかった同業種同士が出逢いその後ビジネスに結びついた方々まで。奥村亭で顔見知りになった参拝者の多さはさすがに権太夫さん、「人気」を司る神様ですね、ご自身の魅力が高まり自分にとって佳き人を引き寄せるようになるのでしょう。
奥村亭ではお山めぐりの記念絵はがきを求めることができます。それは観光地によくある通常の記念絵はがきとちょっと違っていて、絵はがきにその場でメッセージを記入し奥村亭のポストから投函することができるのです。稲荷山に訪れたことを家族や知人にその場からその時の気持ちを伝えることができるのは珍しいサービスですね。
お土産としても人気のその記念絵はがき、少し違う使い方をされる参拝者の方もおられます。まず田中社神蹟・権太夫大神さまで悲願達成の願掛けをした後、ご自身の決心や悲願達成への誓いをその絵はがきに書き込んで奥村亭からご自身宛に投函。自宅に帰ったあと自分に届いたその絵はがきはまるで権太夫さんに悲願を伝えた証の手紙のようにも思えてご自身の決心がより一層強固なものとなる…。
自身に届いたその絵はがきを手にすると権太夫大神さまと通じ合える気がするはず。肌身離さず大切にすることできっと祈願も達成することでしょう。
奥村亭の店主は代々、参拝のお客様同士のご縁がつながって行く様子を見守ってこられたそうです。ある時は悩みを打ち明けることでお互いに傷が癒えたり、ある時はお仕事の業種が同じで取り引きが始まったり、またある時は以前もお会いしましたねと意気投合したり。こういった偶然が何度も続き、人と人の気持ちが通じてご縁が深まっていく。
参拝者の方々が権太夫大神さまのご利やくをいただいたからそうなるのか、真相は誰にもわかりませんがこれからももっと多くの参拝者の方々が佳きご縁を築いて欲しいと願っておられるのだそうです。そんな店主の気持ちを込められた小物入れが「奥村亭の名刺入れ」です。京都西陣織の小物入れは名刺入れや小銭入れ、カードケースとしても使えるサイズ。
「皆様のご縁がこれからも広がり、どうぞ末永く円満に続きますように」
西陣織の優しく心地よい手触りの奥村亭小物入れ。手にすると奥村さんのそんな気持ちがひしひしと伝わる気がします。
スマートフォンやイヤホン、コインケースやパスケース。外出時の必需品を最低限収納できる和風ちりめんの小物入れ「叶えの不苦労」。自身の持ち物を収納し大切に思いそれがあることに感謝する。それと同時に心からの願い事を書き記した書を一緒に入れて持ち歩くことでその悲願を田中社神蹟・権太夫大神さまに伝わるよう願うのだそうです。
生きていくうえで付きものの「避けられない苦労」を払いのけたい。そんな願いは誰しも願う祈願のひとつ。いつも持ち歩く小物入れにそんな願いを込めることで、心からそう願う気持ちが高まるように思います。
身近に置いていつも小物入れを大切に思う、そしてその悲願がいつしか田中社神蹟・権太夫大神さまに伝わればいいですね。
こんな袋(不苦労)と出会えたことに感謝したいです。
京都伏見稲荷大社の稲荷山。その荒神峰に鎮座される田中社神蹟・権太夫大神さんをお守りする奥村亭。稲荷山の中腹に位置する奥村亭へは伏見稲荷本殿から徒歩約30分。伏見稲荷大社本殿から奥村亭への行き方をお話しします。
JR稲荷駅を出て正面。すぐに目に入る伏見稲荷大社表参道の大鳥居。その大鳥居をくぐりまっすぐ行けば桜門。手水で清めて進みます。
本殿では日頃の感謝と参拝にお参りしたことをお伝えします。本殿左奥に進むと稲荷山の入口となる鳥居。それをくぐりお山めぐりの参道を進みます。
鳥居をくぐった正面に「神馬」さまのお社が鎮座。そこを右に道なりに進んでいくと「奥宮」さまのお社。本殿と同様の流造つくりの建物で、摂社でも末社でもなく稲荷大神を祀っておられます。
奥宮さまの左側には「白狐」さまのお社。稲荷大神の眷属さまをお祀りする唯一のお社なので、しっかりご挨拶していきたいですね。白狐さまと奥宮のお社を右に進むとすぐ目に入るのが無数の鳥居が立ち並んでいることで有名な「千本鳥居」の参道。
千本鳥居の緩やかな勾配をまっすぐ進んでいくと「奥の院」と呼ばれる「奥社奉拝所」。奥の院の境内左側の鳥居から稲荷山の参道を進みます。少し行った左側に「根上松さま」が鎮座されています。
根が左右にわかれ地表から飛び出した珍しい形状の松。股のように見えるその根っこをくぐると商売繁盛、腰の病や肩こり、神経痛にご利やくがあると古くから伝わります。また「値が上がる値上がり松」さまとして繰り返し参拝しご利やくを頂いたという投資家の方も少なくありません。
値上がり松さまを過ぎて道なりに進み突き当りを右に。少し進むと右手にきれいなお手洗いが現れます。ここより先には奥村亭からまだ先の「御膳谷奉拝所」までお手洗いがないので注意。稲荷山のなかで一番整備されたお手洗いです。
・利用時間:午前7時30分〜午後4時20分
お手洗いを過ぎてまっすぐ行くと少し急な石段。登りきると「こだまの池」が現れます。こだまの池のほとりで手を打って反響する方角を捜すと、家出人や失跡者が見つかると伝わる不思議な池です。
こだまの池を左に進むとと熊鷹大神さまのお社。ここ一番の大勝負にご利やくがあると伝わる神様です。ここから先は少しづつ勾配がきつくなる石段が続きます。
熊鷹大神さまを過ぎてまっすぐ進むと「三ツ辻」と呼ばれる分かれ道。奥村亭に行くには右に進みます。ここからの参道には三玉亭、瓢亭、三徳亭とお茶屋さんが立ち並んでいます。
漁業関係者の間では“大漁”を祈願にご利益があると伝わる衣食住の神様、三徳大神さま。そこから少し進むと右手に稲荷山から京都市街を望む絶景が広がります。
三徳大神さまを過ぎ絶景を見た後、少し急な石段をまっすぐ進むと「四ツ辻」と呼ばれる高台の三叉路が現れます。その三叉路の左の鳥居をくぐり石段を少し登ると奥村亭に到着。石段の突き当りが田中社神蹟・権太夫大神さんの神殿です。
伏見稲荷大社は初詣の参拝者数が関西で例年1、2位と人気が高く、一年を通して多くの観光客が訪れます。 伏見稲荷の醍醐味はやはりお山めぐり。本殿の参拝だけで終えるのはもったいないとばかりに稲荷山の参道に沿って立ち並ぶ多くのお社に足を運ぶ参拝者が年々増えています。訪れる方々が増えると同時にトラブルも増えてしまうのも事実です。日本に限らず世界中の観光地で事故やトラブルが絶えない様子を報道で目にする機会も少なくはありませんね。
ここ伏見稲荷の稲荷山では、山といっても参道が整備されているため滑落や雪崩などの被害があるわけではありませんが、参拝途中で足をくじいたり体調不良になって動けなくなるようなトラブルが時折起こります。そのような非常時には救急隊が到着するまでその場で患者を待たせることが多いのだそうですが、奥村亭の店主奥村さんはそんな方を放ってはおけない性分。可能な限りいつも一番乗りで現場に駆けつけ初期手当を行っておられるのだそうす。今では稲荷山で緊急を要する事が起こるとすぐに奥村さんに連絡が入るほど、周辺のお社やお茶屋さんから頼られる存在になっておられます。
「この稲荷山で動けなくなって苦しんでいる人がいるなら少しでも早く助かるように、できる限りの手助けをしたいんですよね」
誰かがしないといけないことなら、自分でできることは率先して行いたいと話す奥村亭店主の奥村さん。時には動けないでいる人を少しでも早く救助隊に引き渡せるようにとおぶって山を下ることもあるのだとか。でもなかには医療知識のない自身には手に負えない心臓発作などのような深刻な症状の方もおられます。奥村さんはそんな場合に備えるべく稲荷山の各所にAEDを備え付ける計画を発案。何年も根気強く働きかけ、ようやく理解を示した町内会は伏見稲荷大社と協力し2024年冬に複数台のAEDを稲荷山に設置しました。
「安心してお参りしてもらえる稲荷山になるんやったら、誰が発案したかなんて関係ないんですよ」
そう話す奥村さん。AED設置は実現しましたが稲荷山関係者ですらそれが奥村さんのアイデアだと知る人は多くありません。奥村さんはそれよりも設置されたAEDはまだ稲荷山に数台、十分な数ではないことを懸念しておられます。AED以外にも稲荷山のためになることを一つひとつ進めていくことが守役の仕事のひとつだと考えているのだそうです。
稲荷山を訪れる参拝者たちの安全のことをはじめ各お社とその守役さんたちの発展のことにいたるまで稲荷山のことを常に考えて行動されている奥村さん。そんな奥村さんの「稲荷山への想い」があるからこそ私たちはいつも安心して参拝することができることを知りました。奥村さんと稲荷山のすべての守役さまに心から感謝したいですね。
あまり知られていませんが江戸時代の稲荷山は一般参拝者の入山は禁止されていました。明治になってから入山が許可されると同時に水場を中心に修行僧を宿泊させる旅籠屋が建てられたそうです。
最も歴史の古い旅籠屋は、新池の近くの熊鷹社、滝の近くの三剱(みつるぎ)さん、四つ辻の仁志むら亭、三徳亭だそうです。実は昔はこの四つ辻にも井戸がありその水を利用していたのだそうです。昭和45年(1970年)になり水道が引かれたそうですが、現在の集落の点在位置を見るとかつてから水場を頼りに人が集まって行ったのが想像できます。
奥村亭も例外ではなくこの四つ辻の井戸の水を利用して生活をしておられたとのことで、ご商売は旅籠ではなく初めからろうそくとお供物を扱うお店だったとのことです。
稲荷山の四つ辻には右回り(右手)か左回り(直進)かで悩む人を大勢見かけますが、左手の最も長い階段を進むとこの縁結びの神様、田中社に辿り着きます。田中社は通称「権太夫さん」と呼ばれておりやはり芸事の神様であることがうかがえます。
この権太夫さんをお守りして4代目に当たるのが今のご店主、奥村直之さんです。奥村亭の歴史は古く、もともとは荒神峰中腹にある白瀧神社が奥村家の本家になるそうで今から90年ほど前に奥村さんの曽祖父がこの地でお店を開いたのが始まりだそうです。
奥村さんのご親戚には過去に神職の方がおられたそうで、昭和30年(1950年)代にこの方を中心にお山の祭事の日付のほとんどが決められたそうです。11月13日のお火焚き祭もこの時決まったそうで現在も受け継がれています。
また奥村亭によく足を運ばれるオダイさんが「神様がしめ縄の位置を変えてほしいと申し上げておられます」と言えばすぐに直したりと守役さんの仕事はお客様のみならず神様の言葉にも耳を傾けなければならないそうでその注文も多岐にわたるようです。
奥村さん自身はご自分はそんなに信心深い方ではないとおっしゃっていますが、実際のところ稲荷山にお仕えしている方のほとんどが同じスタンスで、でも代々神様を篤くお守りし尊ばれていることが伝わってきます。
奥村さんのお話によると今から50年ほど前にオダイさんが権太夫さんに立ち寄られたときに以下のお筆書きをくださったそうです。
伏見稲荷山 荒神ヶ峯の田中社権太夫大神さまは 大己貴神(オオナムチノカミ)と申し上げ 俗に大黒様とも申し上げております。 大国主神の別名であらせられます。
特に人間の禍福を掌られ 世に福の神さまと申上げ 万物総ての(男女・商売・取引)縁組の神さまでもあらせられます。
大己貴神とはわが国で最も古い神社の一つだそうです。また奥村さんのお母さんのお話では権太夫さんは「導きの神様」でもあると伝わっているそうです。
実際にお店に立って仕事をしておられるとお客さん同士のご縁が築かれて行ったり、商売が繁盛したりそれは不思議な流れで事が順調に成就していく様子を見聞きしてきたそうです。
また奥村さん自身の体験談では何十年かぶりの同窓会の日が絶対に雨になると天気予報で言われていたのに晴れだったなど奇跡が起きたこともあるそうです。きっと本当に神様に導かれているのでしょう。