みなさんはコーデュロイの生地をご存じでしょうか?ベルベットやビロードに並ぶ保温性の高い添毛(てんもう)織物で、秋冬になるとあらゆる衣類となって、衣料品店に並ぶ厚手の生地のことです。コーデュロイはそのビロードに縦線が入っているのが特徴で、日本ではベルベット&コーデュロイのことを「別珍・コール天」と呼んで来ました。
この大元であるビロードの歴史は古く、イタリアで誕生したのち、ヨーロッパ各国の王や貴族たちから愛されました。最初に日本に入って来たのは戦国時代の南蛮貿易によってポルトガルからもたらされたそうです。その独特の光沢と高級感から当時の権力者や武将たちにもてはやされ、陣羽織やマントとして大変人気になりました。
そののち江戸時代になり、生地の滑りがよく締め付けないことから、下駄や草履の鼻緒の生地として大量に輸入されるようになると、爆発的に庶民の間にも広がって行きました。
明治時代になると、そのビロードに縦線の畝(うね)を入れたコーデュロイが輸入されるようになります。その生地をなんとか国内生産できないかと考えた人物がいました。それが、福田町出身の寺田市十(いちじゅう)さんでした。
市十さんはその生地の作り方を教えてもらえないかと貿易先の外国人や生地問屋などあらゆる関係者に聞いて回ったそうです。しかし答えはもらえませんでした。困り果てた市十さんは伏見稲荷大社の稲荷山にどのようにしたら製造できるのかのお知恵を授かりに、祈願に出向くことを決めました。
参拝後、しばらくして市十さんの夢になんとお稲荷さんが現れたそうです。こうもり傘の作り方を模した映像で丁寧に製造方法を夢として見せてくださったのでした。(お孫さん談)
その夢を見せてくださったのが田中社神蹟にあるお塚のひとつ、宙千稲荷大神様だったそうです。その後市十さんは磐田市を流れる天竜川の水の恵みをはじめとした地の利を生かして、磐田市福田の町に国内初のコーデュロイ製造事業を立ち上げることに成功しました。
市十さんの鳥居は今も石の鳥居で残されており、名前もしっかりと刻まれています。神様のお名前も入った神額も、木製で現存しているのは講員さんが大切にしている証。娘さんをはじめとする寺田家の子孫が「宙千講」を立ちあげ、今でもお孫さんが宙千さんのお掃除や手入れをしに静岡から京都まで参拝にやって来ておられます。
お二人はご親戚関係のようで、左の女性が市十さんのお孫さん。右は宙千講を守ってきた母親を持つ寺田さん。そのお母さんは晩年まで大変熱心にお稲荷さんを信仰されており、伏見稲荷大社からも講員として大変手厚くもてなされていたそうです。
市十さんが製造方法を考案した後、遠州コーデュロイは大量生産されることになります。はじめは東北地方から出稼ぎに来た女工さんたちが、横一列に並んで手作業で縦筋の畝を入れていたそうです。それにより日本初のコーデュロイが誕生し、のちに機械化され量産されました。当時は機械をガチャンと回して作れば、万というお金が入るということから、この産業は「ガチャマン」と呼ばれるほど儲かる大きな産業に発展して行ったそうです。
明治時代から現代にいたるまで、遠州(静岡県磐田郡福田)は日本三大綿織物生産地として、三河(愛知県)、泉州(大阪府)と並んで名を連ねる名産地になりました。 この結果からも分かるように、人間がどれだけ努力を重ねてもダメな時はお稲荷さんに心の底からお祈りすれば、神様はその人にわかる方法で教え、お力を貸してくださるのだと改めて感じます。
この寺田市十さんに夢を見せた宙千稲荷様は権太夫さんを中心に集まってきた、田中社神蹟の中の一つのお稲荷さんです。権太夫さんは稲荷山の中でもっとも古く、大変力の強い神様ですので宙千さんをここに祀った講員さんもそのお力に魅せられた人々なのではないでしょうか?そんなすごい神様が集まってくる権太夫さんをあなたも訪れてみませんか?
あなた様のご先祖とご家族が大切に祀ってきたお塚を取材させてもらえませんか?ご参拝時に現地で同行取材させていただくか、メールのみでも構いません。取材内容は上記(掲載されている)の宙千稲荷大神様のような、神様とご先祖様との出会いと現在までのエピソードを教えていただければと思います。メールにてお気軽にご質問、ご応募ください。掲載無料です。