お稲荷さんと一口に言っても、祀られている「神様」と「眷属さん」に分けられます。神様はご祭神と言い、その神社の名前で呼ばれている方です。眷属さんはその方をお守りしている修行中の精霊のことです。
私の周りにもいわゆる「視える人」がおり、稲荷信仰をしてから白いキツネさんを何度も目撃しています。体は大きく、けして全身をお見せになることはなく、いつもさっとどこかへ消える感じだそうです。とても大きいのが特徴でおしりの高さが自分の身長くらいで尻尾を大きくなびかせているのが特徴です。恥ずかしがり屋なのか、人間に見られると多分上から担当を変えられるのではないかと言っていました。
その知人はいつも守られているのを感じるそうで、眷属さんが危険から回避させてくれていると話しています。例えば車の運転中の時も大きな事故に自分だけ巻き込まれなかったり、商談でも怪しい人物が近づいて来ても自然と離れられたそうです。どう考えても自分の実力だけではなく、不思議だ、不思議だと言っています。
稲荷信仰をしていると不思議と自然に守ってもらえるようになります。
インターネットを検索するとお稲荷さんは祟ると出てきますがあれは間違いです。お稲荷さんが祟るのではなく「悪さをする邪悪な存在」がやっているようです。それを野狐(やこ)と言います。同じ狐の形をしているので間違われているようです。
野狐はかつて自然に生息していた狐が死んで妖怪になったものだそうです。誰にも弔われていないので彷徨い、人間に取り憑き、悪さをするようですが、心配する必要はありません。悪さを日常的にしている人や、暗く落ち込んでいる状態が続いていなければ取り憑かれることはないようです。また、少々落ち込んでも大抵の人は寝たら直ります。笑ったり、人と会話したり、気分転換したらその人を包む雰囲気が変わって野狐もずっとは憑いていられないでしょう。
伏見稲荷は明治維新以降、神仏判然令により、信仰対象を祀る先をなくしたお稲荷さん信仰の人々がご神体を稲荷山に運び込み信仰を続けてきたため、世間では「不思議」と「誤解」に満ちているようです。お稲荷さんはけして怖い存在ではなく、安心して参拝できる神社です。
お稲荷さんは願掛けが非常に早く叶う神様です。これは間違いないと思います。しかし、何でもかんでも自分だけに都合よくというわけではないようです。
眷属さんであるお狐さんはとても人好きだそうです。参拝者を選んで(よし、この人についていこう!)と決め、その人の人生の援護射撃をしてくれているように思います。だから稲荷神社に参拝に行く人は自分は「丸裸」だと思ったほうが良いです。日頃から他人や社会に対して非道なことや反社会的なことをしていれば一瞬で見限られます。目もかけてくれないでしょう。心根の優しい人、純粋な人が好きなように私は思います。
また願掛けした一度きりでなく、一度ご縁ができれば生涯守ってくださると神仏研究家で作家の桜井識子さんもおっしゃっています。たしかに私も知人の視える人もそのように感じます。
お稲荷さんが好きなタイプの人は嘘をつけない人、誠実な人、約束を守る人、働き者の人、でしょうか。嘘をつかないではなく「つけない」というのがポイントでそれはまさしく天性のものだということです。
誰でも小さなミスを犯したとき、本当はちょっと誤魔化したいと思います。でもやっぱり正直に自分のやったことをしゃべる人っていますよね。ああいう人です。その嘘で誰かが傷つくなんて許せない、また自分が嘘つきになるなんて耐えられないという思考の持ち主です。
ほかにも天真爛漫な人、謙虚な人なども入ると思います。国民的有名人で言えばちびまるこちゃんの山田くんとたまちゃんといったところでしょうか?お稲荷さんはああいう裏表がなく、優しく謙虚な人物のそばにいると私は思いますが皆さんはどう思いますか?
神仏研究家で作家と名乗っておられますが、桜井識子さんは霊能者のおばあさんの血を引く霊能者のようです。日本中の神社仏閣を回って神様と話をしたり、その神社の神の話を解釈し読者に向けて分かりやすく解説してくれています。
気さくなお人柄が文体にも表れていて誰にでも気楽に読めるので、敷居の高い神仏の世界がより身近に感じられます。伏見稲荷大社の眷属さんの事にも触れていて大変興味深い著書です。
眷属さんが稲荷山で自主修行をしているとか、知れば知るほど伏見稲荷が身近に感じられ、眷属さんや神様に感謝を感じずにいられなくなる一冊です。