熊野本宮大社

平安時代から続く祈りの霊場


心地よい気

よみがえりの地、熊野三山

伊勢へ七度、熊野へ三度

旅路が修行そのものだった熊野詣
当時は険しく困難だった紀伊山中の道のり。その旅路が修行そのものだった熊野詣。

紀伊半島の南部に位置する3つの神社、本宮大社、速玉大社、那智大社は熊野三山と呼ばれ、熊野古道で結ばれたその道中は山深く長く険しい祈りの道として古くから知られています。今と違って当時は安易にたどり着けない秘境だったその熊野三山が霊験あらたかな聖地として人々の信仰をあつめるようになったのは、熊野が「よみがえりの地」であると信じられていたことにあります。

険しく困難を極める紀伊山中の道のりは熊野詣の旅路自体を修行とし、それを乗り越えたどり着いた熊野三山でのお詣りによって魂が浄められ清められて生まれ変わることができ、また熊野路をたどり家路につく道程によって心も身体も再生できるとされていました。そうして熊野詣を終えた人々はその後、何度も何度も熊野詣を繰り返し日々の暮らしで沁みついた穢れを落としては生まれ変わり、少しでも清らかな体と心で自分の人生を生きていこうとしました。「伊勢へ七度、熊野へ三度」といわれるほど一生の間に何回も訪れる祈りの聖地となったのはこしたことからなのだそうです。

熊野本宮大社の本殿
熊野本宮大社には4つの社殿があり、左から牟須美(むすみ)様と速玉(はやたま)様。家津御子大神(けつみこのおおかみ)様。右はしに天照大神(あまてらすおおみかみ)様、そして少し離れて八百萬の神様が祀られています。

罪や穢れを落とし生まれ変わりを祈る

古今和歌集の一首
熊野大社への参詣道中に、美しい花の咲いているのを見ると神の心がわかる気がした。と白河院が詠んだ古今和歌集の一首。

熊野三山は過去・現在・未来に御利益があるとされ、古くは平安時代の頃から日本各地の貴族や武士・庶民の間で「熊野詣」と呼ばれ盛んに参拝されてきました。白河上皇は9度、後白河上皇は34度も熊野詣をしたと伝わり、戦国武将も多く参拝されたとされる熊野詣。江戸時代以降には身分や性別を問わず庶民にいたるまで多くの人々の信仰を集めてきたこの熊野詣で最初にたどり着きお参りするのが熊野本宮大社です。

鳥居だけが残されている現在の大斎原
鳥居だけが残されている現在の大斎原。

熊野本宮大社は全国の「熊野神社」の総本宮でその起源は今からおよそ2000年前、現在でもパワースポットとして有名です。かつては熊野川の中洲、大斎原(おおゆのはら)に鎮座されていましたが明治22年の洪水によってのそ社殿のほとんどが流されました。奇跡的に残った上四社を明治24年に高台へと移転され現在の場所に鎮座されています。

ご利益は新しい気持ちに出会えること

熊野本宮大社の鳥居
明日から新しい自分で生きていけると感じることができる場所。

鳥居から本殿まで続く石段はゆっくり登って5~6分。不思議なことに一段登る度に少しづつ空気が澄んでいくのがはっきりわかります。本殿では神門の向こうに4つの神様が祀られる檜皮葺の社殿が清らかな氣につつまれ鎮座されています。この境内は不思議と心が落ち着いて、お参りが済んだ後も時間を忘れいつまでも居たくなる心地よい氣がある空間です。その昔人々はこんな感覚を「甦り」につながると感じたのかも知れません。そんな清らかな氣がこの場所にあることに感謝したい気持ちが湧きあがります。

。一段登るごとに氣が澄んでいく本宮さんの石段
鳥居をくぐり本殿までは少し勾配が急な石段が続く。一段登るごとに氣が澄んでいくのを感じながら登る。

いにしえの人ほど鋭い感覚を持ちあわわせていない現代人でも熊野本宮大社では心が清らかになり、帰路につく頃にはまるで生まれ変わったかのように明日から新しい自分で生きていけると感じることができる。それこそが熊野本宮大社さんから誰もが授かることができるご利益なのかも知れません。

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