京都伏見の田中社神蹟 権太夫さん

人気が上がり金運と佳きご縁をいただける京都伏見の田中社神蹟様は権太夫さんと呼ばれ親しまれる神様です。


心地よい気

稲荷山の創始七つの神様のひとつ

京都伏見 権太夫大神と奥村亭
  • 奥村さんの話
  • 眷属さんのお顔の歴史
  • 虎吉さんの祠の話
  • 人気は人の氣が集まる場所へ
  • 観光地化している事に対するご店主の思い
  • 未来の自分に手紙を出そうポスト
  • 緊急時の取り組みAED

京都伏見の権太夫さん

四ツ辻からすぐ田中社神蹟 権太夫さん
有名な千本鳥居から始まる稲荷山の中腹、四ツ辻からすぐの権太夫さん。

京都伏見稲荷の田中社神蹟(たなかしゃしんせき)は初めて稲荷山に降り立った七つの神様「七神蹟」のひとつに数えられる神様。古くから権太夫さんとも呼ばれ人々に「人気」の運を授けることで人とひとの縁を結び商売運や良縁にご利益があると伝わる神様です。

多くのお塚が点在する京都伏見稲荷の稲荷山、その山中にはいろんなお力やご利益が伝わる神様が数多く立ち並びます。稲荷山を一周してお塚をお参りすることを「お山する」と言いその「お山めぐり」をされる方々の間では「七神蹟」の神々は多くの稲荷山のお塚のなかでも別格にお力があり現代ではパワースポットとされています。

伏見稲荷のお参りでは外せない「七神蹟」、なかでも人間関係と金運につながる「人気」にご利益があるとされる田中社神蹟 権太夫さんはお参りの際に外すことはできませんね。

田中社神蹟 権太夫さんは稲荷山の創始七神蹟のひとつ
田中社神蹟 権太夫さんは稲荷山の創始七神蹟のひとつ。
京都伏見 稲荷山の七神蹟

古の昔、飛鳥時代の頃から神々が棲む山とされてきた京都伏見の稲荷山。山中にはその創始ともいえる七つの聖地が今も残り、人々の信仰を集めています。

  • 上之社神蹟…かみのやしろしんせき(一の峰 末廣大神)
  • 中之社神蹟…なかのやしろしんせき(二の峰 青木大神)
  • 下之社神蹟…しものやしろしんせき(三の峰 白菊大神)
  • 田中社神蹟…たなかしゃしんせき(荒神峰 権太夫大神)
  • 荷田社神蹟…かだしゃしんせき(伊勢大神)
  • 長者社神蹟…ちょうじゃしゃしんせき(御劔社)
  • 御膳谷奉拝所…ごぜんたにほうはいじょ

荒神峰の田中大神

田中社神蹟 権太夫さんは荒神峰の頂上
田中社神蹟 権太夫さんは荒神峰の頂上にお祀りされている神様です。

伏見稲荷の正門の鳥居からまっすぐに稲荷山を見上げると左手に低い峰と右手に高い峰の双こぶからなっていることがわかります。この低い方の峰を荒神峰と呼び、田中社はこちらの頂上にお祀りされている神様です。

田中社は正式名称田中大神(たなかのおおかみ)と呼ばれます。伏見稲荷大社のご祭神、五社の一つでもあり、佐田彦大神(さたひこのおおおかみ)、宇迦之御魂大神(うかのたまのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)の4社と共に本殿にも五柱としてもお祀りされています。

主神である宇迦之御魂大神以外はあまり聞きなじみのない名称ですが佐田彦大神は猿田彦神の別名とされているようで、大宮能売大神は天照大神に侍女として仕えた女神とされています。一方で、田中大神と四大神は諸説ありますが正確にはどんな神様なのかほとんど知られていません。

現在、稲荷山山中にお祀りされている田中社をお守りしているご店主奥村さんにお話をうかがうと詳しいことはよくわからないが、荒神峰に祀られているということから大変荒々しい修行をなさった神様で、縁結びの神様であること、また歌舞伎役者の祠も祀られていることから芸能など人気運を招く神様であると伝えられていると教えてくださいました。

湧水の近くに集う人びと

四つ辻 仁志むら亭は最も歴史の古い旅籠屋
四つ辻 仁志むら亭は最も歴史の古い旅籠屋

あまり知られていませんが江戸時代の稲荷山は一般参拝者の入山は禁止されていました。明治になってから入山が許可されると同時に水場を中心に修行僧を宿泊させる旅籠屋が建てられたそうです。

最も歴史の古い旅籠屋は、新池の近くの熊鷹社、滝の近くの三剱(みつるぎ)さん、四つ辻の仁志むら亭、三徳亭だそうです。実は昔はこの四つ辻にも井戸がありその水を利用していたのだそうです。昭和45年(1970年)になり水道が引かれたそうですが、現在の集落の点在位置を見るとかつてから水場を頼りに人が集まって行ったのが想像できます。

奥村亭も例外ではなくこの四つ辻の井戸の水を利用して生活をしておられたとのことで、ご商売は旅籠ではなく初めからろうそくとお供物を扱うお店だったとのことです。

権太夫さんの守役は奥村亭

田中社神蹟 権太夫さんの守役 奥村亭
田中社神蹟 権太夫さんの守役 奥村亭。

稲荷山の四つ辻には右回り(右手)か左回り(直進)かで悩む人を大勢見かけますが、左手の最も長い階段を進むとこの縁結びの神様、田中社に辿り着きます。田中社は通称「権太夫さん」と呼ばれておりやはり芸事の神様であることがうかがえます。

この権太夫さんをお守りして4代目に当たるのが今のご店主、奥村直之さんです。奥村亭の歴史は古く、もともとは荒神峰中腹にある白瀧神社が奥村家の本家になるそうで今から90年ほど前に奥村さんの曽祖父がこの地でお店を開いたのが始まりだそうです。

守役さんのお勤め

奥村さんのご親戚には過去に神職の方がおられたそうで、昭和30年(1950年)代にこの方を中心にお山の祭事の日付のほとんどが決められたそうです。11月13日のお火焚き祭もこの時決まったそうで現在も受け継がれています。

また奥村亭によく足を運ばれるオダイさんが「神様がしめ縄の位置を変えてほしいと申し上げておられます」と言えばすぐに直したりと守役さんの仕事はお客様のみならず神様の言葉にも耳を傾けなければならないそうでその注文も多岐にわたるようです。

奥村さん自身はご自分はそんなに信心深い方ではないとおっしゃっていますが、実際のところ稲荷山にお仕えしている方のほとんどが同じスタンスで、でも代々神様を篤くお守りし尊ばれていることが伝わってきます。

奥村さんから聞いた不思議体験

オダイさんがくれたお筆書き
オダイさんがくれたお筆書き

奥村さんのお話によると今から50年ほど前にオダイさんが権太夫さんに立ち寄られたときに以下のお筆書きをくださったそうです。

伏見稲荷山 荒神ヶ峯の田中社権太夫大神さまは 大己貴神(オオナムチノカミ)と申し上げ 俗に大黒様とも申し上げております。 大国主神の別名であらせられます。

特に人間の禍福を掌られ 世に福の神さまと申上げ 万物総ての(男女・商売・取引)縁組の神さまでもあらせられます。

大己貴神とはわが国で最も古い神社の一つだそうです。また奥村さんのお母さんのお話では権太夫さんは「導きの神様」でもあると伝わっているそうです。

実際にお店に立って仕事をしておられるとお客さん同士のご縁が築かれて行ったり、商売が繁盛したりそれは不思議な流れで事が順調に成就していく様子を見聞きしてきたそうです。

また奥村さん自身の体験談では何十年かぶりの同窓会の日が絶対に雨になると天気予報で言われていたのに晴れだったなど奇跡が起きたこともあるそうです。きっと本当に神様に導かれているのでしょう。

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